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・コミュニケーション不全の社会に対話を復活させるには、まず言葉に精神性、宗教性の生気を吹き込み、活性化させていかなければならない。その活性化のための最良、最強の媒体となるのが、古典や名作などの良書ではないでしょうか。
・私の経験に照らしても、若いころから古典や名作に親しむ習慣をつけるということは、後々にいたるまで、計り知れない財産となっていくものです。
・今、なぜ読書なのかといえば、第一に、それは読書経験が、ある意味で人生の縮図を成しているからです。
・古典や名作は、ダイジェスト本や結論だけを要約したものを読んで事を済ますわけには、決していきません。苦しく困難な登はん作業にも似た格闘を経て、初めて血肉となるのが良書です。
・ひとり机に向かっての読書もそれなりの意味をもちますが、習慣化とういう意味からも、友人や教師と一緒に、意見を交わしながらの読書経験は、一層意義深さを増すに違いない。
・人生の達人であった恩師の言々句々から学んだことは、本との付き合い方は、人間の付き合い方と同じことであり、良書に触れることは、良き師、良き友をもつことと変わるものではないという貴重な教訓でした。
・今、なぜ読書か。その第二の意義として、蓄えられた読書経験は、巷にあふれ返るバーチャル・リアリティー(仮想現実)のもたらす悪影響から魂を保護するバリアー(障壁)となってくれるでしょう。
・第三の意義として、読書は青少年のみならず、大人たちにとっても、日常性に埋没せず、人生の来し方行く末を熟慮するよいチャンスとなるでしょう。
・いくら“活字離れ”がいわれても、否“活字離れ”の時代であればあるほど、私は、時代に抗して、古典や名作と一度も本気で格闘したことのない青春は、なんと寂しく、みすぼらしいものかと訴えておきたいのであります。
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